福岡高等裁判所 昭和25年(う)2530号 判決 1951年2月23日
控訴人 被告人 戸川賢次郎
検察官 長富久関与
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人松尾九州男の陳述にかかる弁護人荒木新一の控訴趣意は末尾添付裏面記載のとおりである。
右に対する判断。
第一点(採証法則の違背)について。
原裁判所が、大島相助の検察事務官並びに司法警察員に対する各供述調書を、刑訴第三三条第一項第三号所定の書簡すなわち、供述者大島相助が所在不明のため公判期日において供述することができず、且つその供述が犯罪事実の証明に欠くことのできないものであつて、その供述が特に信用すべき情況の下にされたものであるとして受理し、これを罪証に供したことは所論のとおりである。論旨は、原裁判所が供述者大島相助を所在不明として取扱つた措置の不当を論難するのであるが、記録についてその措置の経緯を検討するのに、原審第一回公判(昭和二十五年二月一八日)において、検察官は右各供述調書の取調べを請求したところ弁護人において異議を申述べたので、その取調べ請求を撤回して、証人大島相助(控訴趣意書に大島久吉とあるのは大島相助の誤記と認められる。)の取調べを請求して採用されたが同証人に対する召喚状(但し、召喚状の名宛は大島宗助)は、右供述当時の住居から他に転居し転居先不明のために送達不能となり、同証人は原審第二、三、四回の公判(同年三月一八日、四月一三日、五月一一日)に出頭せず、その間検察官において引続き同証人の所在を調査していたが遂に判明せず、(記録に編綴してある司法巡査池口勝喜の作成にかかる同年四月一四日附の報告書によれば、同証人の所在については鋭意捜査中であるが、同年二月初旬頃から行方不明となつたまま、いまだに判明しない旨の記載がある。)検察官は第四回公判において、同証人を所在不明として、前記各供述書の取調べを請求し、併せて、証人大島相助の取調べ請求を撤回したところ、弁護人は、同供述調書を証拠とすることに同意し、その証拠調べに異議なく、なお証人大島相助の取調べ請求の撤回にも異議がない旨を申述べ、ここに原裁判所は、さきの証人大島相助取調べの決定を取消し、右各供述調書の取調べを決定し、これについて成規の証拠調べの手続をとるに至つたものであることが明白である。刑訴第三二一条にいう、供述者の所在不明の場合にあたるかどうかの判別は、それが供述書又は供述を録取した書面の証拠能力の有無を決定する一つの標準とされていることにかんがみ、そして手続の円滑な遂行による公正にして且つ迅速な裁判の実現という、刑事訴訟本来の趣旨に照らして、最も妥当とされるところにその標準をおくべきであつて、概していえば、その所在の発見に搜査通常の過程において相当と認められる手段方法を尽くしてもなおその所在が判明しないことが必要であり、且つこれを以て足りると解するのが相当である。従つて、単に郵便物が送達不能に終つたとか、その所在が訴訟関係人等に分明でないとかいう事実だけでは、まだ所在不明とするには足りないが、さればといつて、所論のように失跡に準ずる場合に限るとするのも、嚴格に失して妥当でない。本件についてこれを見るのに、前記池口勝喜巡査の報告書は、証拠調べの手続を経た形跡が記録上認められないので、これを以て供述者大島相助の所在搜査に関する事情認定の資料とすることはできないのであるが、本件各供述調書が受理されるに至つた前記説明の経緯に徴すれば、供述者大島相助の所在については、捜査通常の過程において相当と認められる手段方法が尽くされて、なお判明しなかつたものと推認されないこともなく、従つて本件各供述調書はこれを供述者の所在不明の場合のものにあたるものと解されないこともないばかりでなく、本件各供述調書については弁護人においてこれを証拠とすることに同意し、その証拠調べに何らの異議をもさしはさまなかつたこと前述のとおりであつて、このような事情のもとに、供述者大島相助を所在不明として取扱い、本件各供述調書を、刑訴第三二一条第一項第三号所定の書面として受理した上、これを罪証に供した原裁判所の措置には何ら非議すべきものが認められず、原判決に所論のような採証法則上の違背があるものとは認められない。
第二点(審判請求以外の事実認定の違法)について。
本件起訴状の公訴事実によれば、「被告人は……中畧……かぬてズボンのバンドの左後方に所持していた匕首一口を前の方に動かして、その束を見せて、要求に応じなければどういう危害を加えるかも判らないというような態度を示して大島相助を畏怖させ……後略」とあり、又、予備的訴因(罰条)の追加請求書の公訴事実によれば「被告人は……中略……かねてズボンのバンド下の左後方に所持していた匕首一口を前の方に動かしてその束を見せ、要求に応じなければ身体にどういう危害を加えるかも判らないというような態度を示し、因つて同人(大島相助)を脅迫したものである。」とあり、原判決の認定によれば、「被告人は……中略……ズボンのバンド下の後方に隠して差していた刃渡り三寸位の匕首(証第一号)を前の方に廻して、その束を弄び、「打殺してやる」と申向け、同人(大島相助)が被告人の要求に応じないときは、その生命又は身体に対して危害を加うべきことを以つて同人を脅迫したものである。」というのであつて、公訴事実の記載と原判決認定の事実との間に若干の相違があり、生命に対して危害を加うべきことを以つて脅迫したことは、公訴事実の中に記載されていないことはまことに所論のとおりである。しかし、健全な常識による一般的な観察を以つてする限り被告人が大島相助に対して加えた脅迫の所為自体としては、公訴事実と原判決認定の事実とは、全く同一の事柄を指向するものであつて、両者別個の事柄に属するものとは認められない。
公訴事実に包含表明されるところの事実が、訴訟手続における実体形成の進展過程において多少の変形を伴うことは、むしろ通常の事象であり、必然の事柄でさえある。盗品の数量、価格等に例を藉りれば事おのずから明白であろう。社会的な観察において事件の同一性が失われない限り、裁判所は公訴事実の文言に拘束されることなく、明らかにされた事案の真相に従つて事実を認定すべきであること言をまたない。原判決の事実認定を目して、審判の請求を受けない事件について判決した違法ありとする論旨はもとより採用の限りでない。
第三点(量刑不当)について。
記録を調査するのに、諸般の犯情に照らし、原判決の科刑は相当であると認められ、これを不当とすべき事情は認められない。
その他原判決を破棄すべき事由がないので、刑訴第三九六条により本件控訴を棄却すべきものとする。
以上の理由により主文のとおり判決する。
(裁判長判事 筒井義彦 判事 柳原幸雄 判事 川井立夫)
弁護人荒木新一の控訴趣意
第一点原判決は採証の法則を誤りたる違法及び事実誤認の違法がある。
原判決によれば被告人は予て知合の太田次郎から大島相助に対する貸金の取立方を依頼されるや、夕刻、右大島相助を呼出した上、同人に対し「お前は兄ちやんから借りた金があらう、兄ちやんから言われたことに対し義理を立てろ、自転車を持つて来い」など申向けて返金方を迫つたが、同人が之れに応ずる気配がないので、ズボンのバンド下の後方に隠して差していた刃渡三寸位の匕首を前の方に廻して、その束を弄び「打殺してやる」と申向け同人が被告人の要求に応じないときは、その生命又は身体に対し危害を加うべきことを以て同人を脅したと認定して被告人を懲役六月に処しその証拠として、一、被告人の原審での供述、一、証人太田次郎の供述、一、大島相助の検察事務官に対する供述録取書並に司法警察員に対する供述調書中各その供述記載、一、押収に係る証第一号匕首一挺の存在を揚げている。
右の中、大島久吉の検察官並に警察員に対する供述調書は、原審第一回公判に於て検察官が他の証拠と共に取調の請求をした処、被告側が之れに同意しなかつたので之れに代るものとして同人を証人として取調の請求をした事は記録に明白である。(記録第八丁昭和二十五年二月十八日公判調書)
然るに、同人に対する呼出状の送達は不能となつた(送達書宛名は大島宗助と誤記されている記録第四六丁)検察官は次回公判で同人を所在不明として右供述調書を刑事訴訟法第三百二十一条第一項第三号による書面として取調を請求し弁護人は之れに同意している。(記録第六六丁)而して記録第六二丁には司法巡査作成に係る大島相助の所在調査結果報告書なる書面が編綴されているが、如何なる手続により斯る書面が本件記録に編綴されたか知る由がない。誠に不可解な存在である。
本件に於ては、事案の性質上、同人の供述如何は罪体の存否に関する重大なる事項である事は自ら明白であり之を欠くに於ては自白の補強証拠がないから有罪とすることは出来ぬ関係にある。従つて同証人の取扱に付ては刑事訴訟法第三百十四条第三項の法意に照らして極めて愼重を要する事は多言を要せぬ処であろう。
処で刑事訴訟法第三百二十一条第一項に所謂所在不明が如何なる程度のものである事を要するかは困難な問題ではあるが、人は居住移転の自由を有し、特段の事情のない限り一々警察等に行先を告げる義務はないのであるから、一時的に警察員に行先が判らぬとて直ちに所在不明とすることは出来ないことは明白であり、法が之れを死亡、精神若くは身体の故障(病気による一時的故障を含まぬことは刑事訴訟法第三百十四条第三項との対比上明白と信ずる)及び国外にいる為供述の出来ない場合と並べて規定している事からも容易に理解される。従つて法に所謂所在不明は相当手段を尽しても尚且所在不明の場合に限るべきであり、所謂失踪に準ずる場合であると解するのが妥当なりと信ずる。若しそうでないとすれば、嘘構又は誇張したる供述を為して一時的に姿をくらます場合常に必ず反証があるとは限らぬのであるから審判を誤る危険性があり、若し捜査官憲による犯罪のデツチ上げなどが行はれた場合之を打破することは不能に帰するであろう。然るにも拘らず原審が以上の如き簡単なる証明により犯罪の成否に重大なる関係ある本件供述調書を(供述者の本籍も記載してない事はそれ自体で明白である)所在不明者のそれとして受理し証拠に供したのは採証の法則を無視した違法がある。記録の示す処によれば、被告側は始め右供述調書の提出に同意せず後に検察官が之を刑事訴訟法第三百三十一条第一項による書面として提出するに及んで之れに同意していることは前記の通りである。従つて此の同意は右大島久吉が所在不明者たる事を積極的に爭ふ意思を表明しない点にのみ意義があり、それ以上のものでなく、此の同意あるが故に、該書面が刑事訴訟法第三百二十六条のそれに転化するものではないことは自明の事である。いわんや該書面の証明力の合意でない事は論を要せぬ処である。(団藤氏刑事訴訟法改訂版第一六一頁参照)本件に於て右供述調書の記載は余りにも被告人の不利益であり、之のみに依拠すれば本件は正に強盗を以て論ずべき事案である。
然るに拘らず被告側はその証明力を積極的に爭ふた旨の記載は記録中にない。
然し乍ら記録中に存する被告人及び弁護人の供述並にその立証の全体を通じて右書面の記載と抵触する部分は之れを爭ふたものと見るのが客観的に正鵠を得たる解釈である。
従つて仮りに前段記述の違法がないとしても右供述調書を以て証拠とするに付ては、その証明力信憑性に付相当の吟味を要することは勿論である。
一般的に見て本件の如き事案に於ては、反対訊問のテストを受けざる被害者の供述が信憑性極めて薄いものであることに異議はあるまい。
本件記録を精査するに右大島久吉は被告人とは数ケ月間起居を共にしたものであり、太田次郎には負債や恩義がある者である事は証明されているに拘らず(記録第十八丁以下、第四九丁以下、第七四丁以下)右供述は全然之を否定又は無視して居り極めて悪意に満ちていることを知る事が出来るので記録に表はれたる同人の職業及び性格より見て同人が相当なるシレ者たることは容易に之れを知る事が出来る。
従つて右供述の内容は他の証拠と合致する部分のみしか証明力を有せぬものと断言して宜しいのである。
原判決によれば脅迫罪の罪体として揚げている事項中「返金を迫つた事、同人が之れに応ずる気配がないのでおどかす積りで匕首を持つているという態度を取つたこと」に付ては被告人の自白と被害者の供述が一致する。処が「殺してやる」と云つたとの点は被害者の供述のみで他に傍証はない。刑法第二二二条によれば加害の客体として生命身体等各別に規定して居り、その被害法益の尊卑は大体規定の順位ではないかと考へられるので其の旨発言の存否は、本件犯状に重大なる関係がある。既に被告人の自白とその裏付証拠のみで有罪認定が出来るのであるから、それ以上の犯罪事実を右の供述から認定しようとするならばその点に付一応被告人の陳述を求むべきを至当の処置とするものと思料する。此の事は本件に於ては自由心証の問題ではなく証拠法則の問題であると信ずる。
事それに及ばなかつた原審は此の点でも採証法則を誤りよつて以て重大なる事実の誤認に陷つた違法があるので到底破棄は免れない。
第二点原判決は刑事訴訟第三百七十八条第一項第三号違反の裁判である。
起訴状並に追加起訴状を見るに、生命に対して危害を加ふべき事を以て脅迫したことは訴因中に存在せぬ、身体と生命とは法益が別であるから、訴因を超過して原判決の様な認定をしたことは審判の請求を受けない事件について判決を為したことになり勿論違法であつて到底破棄は免れない。
第三点原判決は刑の量定が不当である。
脅迫罪に於ける害悪の告知は脅迫者と被害者との関係によりその犯罪性の評価を異にすることは勿論である。所謂人を見て法を説かねばならぬ。本件被害者は密航鮮人らしい(記録第五九丁)同人が被告人と共に約半年一緒に住込んで世話を受けた太田次郎も亦鮮人らしい。
被告人も亦朝鮮で生れ同地で尋常小学校六年を終了して満州朝鮮で理髪業等をしていたものである。(記録第三五丁)従つて此等の者の社会的階層が如何なるものに属するか記録を調査すれば容易に判明するところである。亦被告人と被害者との間も右の通り起居を共にしていた仲であるからその性格、言動も相当に充分知悉していたと見られねばなるまい。従つて被告人の害悪告知の行為が一般的には許し難い行為でありともこれは取り上ぐるに足らん行為であると見てよい案件である。原審弁護人主張の通り罰金刑で事足りる事案であり、強いて懲役刑に処するなら無前科の点、妻子三人で現在まじめに理髪業を営み相当なる収入をあげている点を考慮して是非共執行猶予を附するべき性質の案件であると確保する。よつて原審が之を実刑六月に処したのは不当なる量刑であると思料する。